2007年03月05日
シーサー修行の日々⑦
次に売り込んだ店は、M堂と言う、すごく洗練された雰囲気の可愛い沖縄雑貨店だった。私はこの店の独特のおしゃれで、それでいて個性的な雰囲気が好きだったので、ぜひ自分の作品を置いて欲しいと思い、売り込みをした所、1種類ずづ、全部で7個注文をもらえた。この店での売れ方は早くて、あっという間に半分以上売れ、追加注文が来た。
その次に売り込んだのが、S民芸と言う店で、その店の店長とは、陶芸の工房の面接に行った時、たまたまそこの店長も来ていて、色々と立ち話をし、それ以来顔見知りになっていたので、売り込みに行ったのだが、店長は、「私の作品はかわいいんだけど高い、これじゃあ売れないよ」と言って、でもせっかく来たんだからと仕方ない様子で5個注文をくれた。
そしたらその5個がすぐに売れたので、気を良くした店長は、追加で35個注文をくれた。
私はとりあえず、10個作って先に納品して、残りの25個は2週間ぐらい後にもう一度納品した。その納品の時、先に納品した10個がほとんど売れてなかったのだ。
すると店長は、「私の作品はあまりシーサーらしくないから、こういうのはやっぱり売れない、もっと漆喰の地の色を出して欲しい」と言い、さらに、前に現物を持って行った時には写真で持って来て欲しいと言われたので、次は写真で持って行ったら「写真で見るのと現物で見るのとでは全然違う」と言ったり、ちゃんと注文を受けた数を持って行ったのに、「こんなにも沢山注文した覚えはない」等・・・色々筋違いの文句を言われ、私の扱い方もけちょんけちょんだった。
2週間かけて、一つ一つ丁寧に、手を抜かずに作って、得たお金は1万5千円にも満たない金額だった。
私はこの店に納品する作品を、見本より少しでもいい作品にしようと、シーサーに造花を付けてみた。でもその造花は、以前感じのいい造花が100円ショップにあったのだが、その時はなかったのだ。だから私は、その造花を求めて、沖縄中の100円ショップをバイクで何カ所もかけまわり、それでもなかったので、製造元から取り寄せしてもらって、それでやっと完成したシーサーだった。
お金を得る事は嫌な思いや納得いかない事もあるのは当然だと思うが、それが家賃にもならない様な、わずかな金額しか得られないとしたら、こんな思いをしてまでその店に置いてもらう価値はないと思い、それ以来その店には行っていない。
ある歌手が、歌手をやめた理由に、「歌が好きだから、一生歌って行きたかったから、それを商売にしてしまうとそのうち歌が大嫌いになりそうだからやめた」と言っていたが、その歌手と自分を比べるのはおごましい気もするが、私にもその気持ちの1/10ぐらいは分かった気がした。
趣味で作る分には作りたい時に、作りたい物を、好きなだけ作っていればそれで済むが、仕事となると同じ物を何個も何個も、作りたくなくても作らないといけない。
私の作品は小さい物が多いので、値段も高く設定出来ないから、利益を得る為には数を作らないといけない。
10万円稼ごうと思ったら、100個以上は作らないといけない、それを毎月継続して注文をとるなんて不可能だし、仮に注文が来たとしても、家でひたすら作っていたら、多分もう、漆喰を見るのも嫌になると思う。
そうならないうちに、漆喰だけで食べて行こうと言う考えは捨てる事にした。また派遣社員として事務の仕事をしながら、漆喰を作って行く事を考えた。
大手のお土産屋にも持ち込みをする事を考えていたが、もう、自分の作品を商売をしか見ない店には置いて欲しくないと思い、持ち込みをやめた。
そんな時、その年の元旦に、陶芸の工房で一番仲の良かった友達の関東への引っ越しを見送る為、空港に行って、友達と別れ一人涙していたその時、振り返ったら、M盛さんと言う、沖縄の言葉で文字や絵を描いている人が展示販売していた。
その文字や絵があまりにかわいくて、ほのぼのとしていて、一目でその作品を好きになって、喜んでいたら、本当は一枚500円なのに、無料で色々と書いてプレゼントしてくれた。
私も何かお礼したいと思い、そういえばたまたま私の作品のゴーヤー君を持ち歩いていた事を思い出して、プレゼントして、私も物を作る仕事をしている旨を話したら、その人の絵のキャラクターを漆喰で作って欲しいと言われ、私も喜んで引き受けた。
そしてそのゴーヤー君を見た隣の店の店長が、ゴーヤー君を気に入って、私の作品をその店に置かないかと言われたので、置いてもらう事になった。
その店長の本業は薬剤師だが、「作家との出会いを大事にしたい」と話していて、私もそういう気持ちで置いてくれるのなら大切に扱ってもらえるだろうと思って、本当にありがたい事だと思った。
何故空港にゴーヤー君を持っていたのかと言うと、陶芸の工房の他の先輩にあげるつもりで持って行ったのだが、急にあげる気がなくなって、あげなかったから、M盛さん達の目に触れる事が出来たのだ。
このゴーヤー君は始めからこういうさだめだったのかとも思う。
陶芸の工房を辞めて、調度、漆喰に向けて動き出した時で、色々な偶然が積み重なってあの時の私がある訳で、何だか偶然ではない何かに動かされている気がしてならなかった。
その次に売り込んだのが、S民芸と言う店で、その店の店長とは、陶芸の工房の面接に行った時、たまたまそこの店長も来ていて、色々と立ち話をし、それ以来顔見知りになっていたので、売り込みに行ったのだが、店長は、「私の作品はかわいいんだけど高い、これじゃあ売れないよ」と言って、でもせっかく来たんだからと仕方ない様子で5個注文をくれた。
そしたらその5個がすぐに売れたので、気を良くした店長は、追加で35個注文をくれた。
私はとりあえず、10個作って先に納品して、残りの25個は2週間ぐらい後にもう一度納品した。その納品の時、先に納品した10個がほとんど売れてなかったのだ。
すると店長は、「私の作品はあまりシーサーらしくないから、こういうのはやっぱり売れない、もっと漆喰の地の色を出して欲しい」と言い、さらに、前に現物を持って行った時には写真で持って来て欲しいと言われたので、次は写真で持って行ったら「写真で見るのと現物で見るのとでは全然違う」と言ったり、ちゃんと注文を受けた数を持って行ったのに、「こんなにも沢山注文した覚えはない」等・・・色々筋違いの文句を言われ、私の扱い方もけちょんけちょんだった。
2週間かけて、一つ一つ丁寧に、手を抜かずに作って、得たお金は1万5千円にも満たない金額だった。
私はこの店に納品する作品を、見本より少しでもいい作品にしようと、シーサーに造花を付けてみた。でもその造花は、以前感じのいい造花が100円ショップにあったのだが、その時はなかったのだ。だから私は、その造花を求めて、沖縄中の100円ショップをバイクで何カ所もかけまわり、それでもなかったので、製造元から取り寄せしてもらって、それでやっと完成したシーサーだった。
お金を得る事は嫌な思いや納得いかない事もあるのは当然だと思うが、それが家賃にもならない様な、わずかな金額しか得られないとしたら、こんな思いをしてまでその店に置いてもらう価値はないと思い、それ以来その店には行っていない。
ある歌手が、歌手をやめた理由に、「歌が好きだから、一生歌って行きたかったから、それを商売にしてしまうとそのうち歌が大嫌いになりそうだからやめた」と言っていたが、その歌手と自分を比べるのはおごましい気もするが、私にもその気持ちの1/10ぐらいは分かった気がした。
趣味で作る分には作りたい時に、作りたい物を、好きなだけ作っていればそれで済むが、仕事となると同じ物を何個も何個も、作りたくなくても作らないといけない。
私の作品は小さい物が多いので、値段も高く設定出来ないから、利益を得る為には数を作らないといけない。
10万円稼ごうと思ったら、100個以上は作らないといけない、それを毎月継続して注文をとるなんて不可能だし、仮に注文が来たとしても、家でひたすら作っていたら、多分もう、漆喰を見るのも嫌になると思う。
そうならないうちに、漆喰だけで食べて行こうと言う考えは捨てる事にした。また派遣社員として事務の仕事をしながら、漆喰を作って行く事を考えた。
大手のお土産屋にも持ち込みをする事を考えていたが、もう、自分の作品を商売をしか見ない店には置いて欲しくないと思い、持ち込みをやめた。
そんな時、その年の元旦に、陶芸の工房で一番仲の良かった友達の関東への引っ越しを見送る為、空港に行って、友達と別れ一人涙していたその時、振り返ったら、M盛さんと言う、沖縄の言葉で文字や絵を描いている人が展示販売していた。
その文字や絵があまりにかわいくて、ほのぼのとしていて、一目でその作品を好きになって、喜んでいたら、本当は一枚500円なのに、無料で色々と書いてプレゼントしてくれた。
私も何かお礼したいと思い、そういえばたまたま私の作品のゴーヤー君を持ち歩いていた事を思い出して、プレゼントして、私も物を作る仕事をしている旨を話したら、その人の絵のキャラクターを漆喰で作って欲しいと言われ、私も喜んで引き受けた。
そしてそのゴーヤー君を見た隣の店の店長が、ゴーヤー君を気に入って、私の作品をその店に置かないかと言われたので、置いてもらう事になった。
その店長の本業は薬剤師だが、「作家との出会いを大事にしたい」と話していて、私もそういう気持ちで置いてくれるのなら大切に扱ってもらえるだろうと思って、本当にありがたい事だと思った。
何故空港にゴーヤー君を持っていたのかと言うと、陶芸の工房の他の先輩にあげるつもりで持って行ったのだが、急にあげる気がなくなって、あげなかったから、M盛さん達の目に触れる事が出来たのだ。
このゴーヤー君は始めからこういうさだめだったのかとも思う。
陶芸の工房を辞めて、調度、漆喰に向けて動き出した時で、色々な偶然が積み重なってあの時の私がある訳で、何だか偶然ではない何かに動かされている気がしてならなかった。
Posted by ひだまり 陽子 at 20:07│Comments(0)
│シーサー修行の日々
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