漆喰のコツをつかんだ私は、次々に色々なシーサーを作った。
陶芸の工房ではある程度自由に作って良かったものの。その範囲はシーサ-に留められていたが、もう一人でやっているのだから、別にシーサーだけじゃなくてもいいと気づき、ゴーヤー、やどかり、魚、きじむなー(沖縄の精霊)、ヒトデ・・・等を次々に作って行った。
陶芸の工房にいた時は、小さい可愛らしいシーサーが私の限界だったが、何故か漆喰に転向した途端、自分でも驚くぐらい色々な物が次々に作れた。
私は昔からお土産屋巡りが好きで、特に沖縄の雑貨は質が高く、沖縄らしい個性に溢れていて、地味すぎず、派手すぎない調度いいバランスが好きで、暇さえあればしょっ中お土産屋に行って、色々な作品を見てきた。それは、自分の作品にも生かせるヒントがないかと思っていたが、義務感だけでなく、ただ見るのが好きで楽しくて色々な人の作品をじっくり眺めていた。
多分、そんな事の繰り返しで沖縄に住んだ10ヶ月の間に知らず知らずのうちに感性が磨かれたのではないかと思う。
それを土では表現する事が出来なかったが、漆喰に転向した途端、今までため込んでいたマグマが吹き出すかの様に、作品となって花開いた。
自分でも、何でこんなに次々に色々な物が作れるのが不思議でならなかった。
工房を辞めたのが9月3日だったが、9月末にはもう、ある程度まとまった数の作品が出来ていたので、店に持ち込んで売り込みに行った。
私はどの店に持ち込むかはもう決めていた。
自分の作品の雰囲気に合わない店に持ち込んでも受け入れてくれない事は分かっていたし、それに例え受け入れてくれたとしても、自分の大切な作品を、いい加減に扱う店には置きたくなかった。
どの店がどんな売り方をするかは、陶芸の工房での営業や、客を装ってのお土産屋巡りのついでに自分の作品がどう扱われているか見ていた。
卸値の何倍もの否良心的な高い値段を付けていたり、もってけドロボーみたいな売り方をしていたり、いい加減に展示していたり、そんな店には置きたくなかったし、もちろんそんなきれい事だけではやって行けないが、わざわざ始めからそんな店を選ぶ事もないと思った。
私がまず、絶対に置いて欲しいと思った店は、陶芸の工房の時「いい作品が出来たらまた持ってきてね」と言ってくれた店長のいる、ギャラリーDという店だ。
なかなか言えないセリフだと思う。
普通、売り込みに行くと大抵の店はあまりいい顔をしないのだが、その店長は私が下の立場であるにも関わらず、きちんと対応してくれて、「また持ってきてね」の一言はすごく嬉しくて印象に残っていた。
その店の展示も、一人一人の作家を大事にしていると言う感じがにじみ出ていて、この店なら私の作品もきっと大切にしてくれると思った。
漆喰に転向して初めての持ち込みだったので、果たして受け入れてくれるかどうか自信がなかったのだが、10種類ぐらいの作品を5個ずつぐらい、全部で56個も注文をもらえた。
こんなに注文をもらえると思ってなかったのでとても嬉しかった。
10月中頃には注文分を全て納品し、陶芸の工房の名前ではなく、私の本名で初めて作品に展示される事は嬉しかった。
今までは何を作っても先生の名前か、陶芸の工房の名前が表示されていたので。
納品したものの、果たしてそれが売れるかとにかく心配だったので、店の人も呆れるぐらいしょっちゅう覗きに行って、その度に店の人が私に気付いて挨拶されるので、遠くからこそこそと見ていたら、それでも気付かれてしまい、別に悪い事はしてないのだが、「見つかった!」なとど慌てていた。
そんな感じで売れ行きを心配していたが、季節が秋で、若い観光客が夏ほど多くない時期の為か、陶芸の工房の時ほど早くはない物の、少しづつ売れて行った。
一度店長に、売れ行きはどうかとたずね、「早くはないけど、ちょくちょく売れている」と言われ、早くはないのかと少しがっかりした様子を見せた事があった。
そしたら私のがっかりした様子を察した店長は、「他の人との取引は、利益を重視して出来るだけ安く仕入れようとするけど、私との取引にはあまり利益を考えていないから、好きな様にやっていいよ、もっと色んな店に売り出したらいいし、応援はするけど、規制はしない」と言われた。
私はこう言われて非常に複雑な気持ちになった。ひとつは、私の作品が認められて、利益になると思ったから注文をくれたのではなかったのかなと言う事と、あとひとつは、何故自分がそんな扱いをされるのか理解出来なかったからだ。
店長の気持ちは今でも分からないが、多分、沖縄の人ならではの行動だと思う。
今ではその気持ちは本当にありがたく、その気持ちに答えるには私がいかにいい作品を沢山作る事だと思っている。