2002年、私は沖縄に移住した。重度の沖縄病で、今、沖縄に住まないと一生後悔する、一生後悔するぐらいならどれほど辛い目に遭っても行かないよりマシだと思ったからである。
「沖縄=楽園=幸せになれる」と思っている人も中にはいるかもしれない。私以外にも皆同じ事を言っているが、現実はそう甘くない。幸い私は、事情があって、沖縄に本格的に移住する前に、2ヶ月沖縄に滞在する機会があったので、その時の経験から、「沖縄=楽園」ではないと言う事を身にしみて感じていた。
沖縄に一生住むには、相当な覚悟とお金、目標、運が必要だと思う。たまたま私には、1年間は仕事がなくても食べて行ける程度の貯金があった。陶芸をしたい、シーサーを作りたいと言う目標もあった。だから1年だけは何があっても頑張ろうと思って、引っ越しをした。
陶芸の仕事は、全くの素人の私を簡単に雇ってもらえるほど、すぐには見つからないと思っていたので、私は陶芸の工房を一軒一軒回って、どんな雑用でもいいから仕事をさせてもらおうと決意していたのだが、そんな努力をしなくても、引っ越しして1週間ほどで自宅から5分の場所に、あっさりと見つかり、そしてあっさりと採用された。
しかも工房に入ってからは、雑用どころかすぐにシーサー作りを教えてもらう事が出来た。
家も、普通、家賃を払わないで内地に逃げて帰ってしまう人が多い為、沖縄人の保証人二人が必要であるが、私はたまたま保証人のいらない家を見つける事が出来て、そこに住む事が出来た。
何もかも運が良かったとしか言いようがない。
沖縄に移住した当初、覚悟はしていた物の、知り合いが殆どいないと言う心細さとホームシックでいっぱいになってしまい、辛くて辛くて仕方なかった。
ただ、陶芸の仕事を始めてからは、シーサー作りに夢中で朝から晩までひたすらシーサーの事を考えていて、寂しいとか考える暇もなかったし、同じ工房の人とも仲良くなれて、辛いと思う事は殆どなくなって行った。ただ毎日が楽しくて新鮮で仕方なかった。
陶芸の工房での事は数え切れないぐらいの話がある。
沖縄・那覇と言う場所は、本当に文化が盛んな場所だと思う。あちこちに伝統工芸を感じる場所がある。
お祭りはしょっちゅうやっている。沖縄の有名人、喜納昌吉さんの無料ライブ、沖縄の一般の人の演芸会、那覇祭りには、あの有名なビギンの無料ライブまであった。
あちこちにシーサーがあり、ウージ染めがあり、陶芸の工房があり、どこからともなく沖縄音楽が常に聴こえ、エイサーを見る機会もしょっちゅう。
私はエイサーが大好きなので、移住して始めてエイサーを見た時は、こんな所好きな場所に住めて本当に良かったと感激した事を覚えている。
沖縄は、食べ物がすごくおいしい。沖縄に移住した人は、たいてい7キロから10キロは太ってしまうらしい。でも私はそれ以上に太ってしまった。
沖縄の食堂の量は、すごく多い。定食を頼むと、山盛りの野菜に、山盛りのご飯、そして必ずと言っていい程、沖縄そばの小さい物が付いて来る。それでだいたい500円から600円ぐらい。
ご飯がおいしい、一人暮らし=外食が多い、人がおおらか、気温が暖かい・・こう言った条件からか、沖縄に住んでいるとどうしても太ってしまう。
さすがに大台に乗った時には本当にどうしようかと思った。
私は今、沖縄にもう一度住みたいとは全く思っていない。良くも悪くも沖縄の事を知ってしまったからだ。今住んでいる場所に十分満足していると言うのも大きな要素であるが、沖縄は、旅行で行くのと、住むのとでは全く訳が違うものであると強く実感している。
沖縄に住んで良かったのは、故郷の良さを実感出来た事。
今まで、自分の故郷がそれほど良い場所であるとは思っていなかったが、一旦故郷を離れないとそれも分からなかったと思う。
沖縄はものすごくいい所である。私は大好きだ。素晴らしい場所だと思う。でもそれでも住みたいとはもう思わない。
私は、沖縄に一生住めるだけの覚悟と決意、運、お金がない。
元々沖縄に生まれ育って、沖縄に家族や親戚がいる人にとって、沖縄はすごくいい所で、沖縄生まれの人を羨ましく思う事もよくあったが、沖縄の人は、内地の人を羨ましく思っているらしい。
私は、沖縄には絶対にない、内地独特の名字である為、名刺を見せた途端に「あなたも内地の人ね~」と言われて、言われる度に「また言われた」と嫌な思いをしていて、差別された様な気分になっていたのだが、沖縄の人は、羨ましいと言う意味を込めて言っていたらしい。
お互いない物ねだりと言った所であろうか。